第50回OSEALフォーラム マニラ・パサイ大会参加記
UpDate:12.4.2011

L 渡辺 和廣

 11月24〜27日まで、今年のフォーラムがフィリピンのマニラにおいて(正確にはマニラ首都圏の中のパサイ市において)開催された。フォーラム・テーマは「未来への黄金の奉仕」でした。

 今回は記念すべき50回大会であること、しかも、日本ライオンズの生みの親であるマニラにおいて開催される大会であることが特徴です(ご存じのとおり日本で最初のライオンズクラブである東京ライオンズクラブは、第二次世界大戦の恩讐を越えて戦争で日本が占領していたフィリピンのマニラライオンズクラブのスポンサーで1952年に誕生した)。330−A地区(東京)はガバナー晩餐会を「ありがとうマニラクラブ」とのテーマで、マニラLCのメンバーを招待して行われました。

 私個人としては、今回は同期の地区ガバナーである2012〜2014年度の国際理事立候補者である武久一郎Lのお披露目であるジャパンレセプションに出て、同期の他の地区ガバナー達とともに武久Lを激励をすることが目的でした。

 ところで、東洋東南アジアフォーラムの開催地は、七つの国(地域)のローテーションで回しており、最近では日本(2005年・仙台、阿部ガバナー)→マレーシア・シンガポール・ブルネイ(2006年・ペナン、古郡ガバナー)→韓国(2007年大邱、牧田ガバナー)→香港(2008年、桜井ガバナー)→タイ(2009年・パタヤ、渡辺ガバナー)→台湾(2010年・高雄、金子ガバナー)→フィリピン(今回・マニラ・パサイ市、小山ガバナー)の順でした。一巡して来年は、又、日本(福岡)、再来年はシンガポールということになります。

 今回のマニラの大会で、ライオンズクラブが急成長している中国がこの中に入ることが決定されて8つの国(地域)で回ることとなりました。2018年に中国で開催ということです(もう一巡して次回の台湾とフィリピンのローテーションの間に入る)。

 今回、私は妻と二人で参加して来ました。私たち夫婦はツアーに入らず、23日に出かけ、27日に帰国しました。二人だけの旅でしたが、私が地区ガバナーの時の副幹事たちのツアーと行き帰りの飛行機は偶然一緒でした。それでも、23日の深夜に入国ということや治安が悪いなどということで心配でしたが、フィリピンの渡航歴が多く、マニラのライオンズクラブの準メンバーみたいな現地通の橋本L(私の時の13Rの副幹事)が空港に迎えに来ていてくれて本当に助かりました。宿泊は大会本部ホテルになっておりました「ソフィテル」でしたが、例年と異なり、本部ホテルでの行事はほとんどなく(行事の多くは大会会場のSMXというコンベンションセンター内で行われました)、その意味では本部ホテルに泊まる必要は結果的にはなかった。でも、部屋から見えるマニラ湾の夕日が有名というホテルだそうで、実際噂に違わず素晴らしい夕日を見ることが出来ました。

 今回の大会には約6500名の参加があり、日本からは約2500名で約4割を占めていたということでした。330ーBは約300名でした。 

 24日は特に参加行事はなかったので、昼間は妻と市内観光に行きました。マニラ中心部のイントラムス(スペインがフィリピン統治のために建てた旧城壁都市)内の世界遺産であるサン・アグスチン教会(1606年完成)や、マニラ大聖堂(戦争で破壊され第二次世界大戦後に再建)などを見学しました。またイントラムスの隣に位置するフィリピンの英雄・ホセリサールの像があるリサール・パーク内で散歩もしました。流しのタクシーは安全でない、ということで代金約5倍もするホテルタクシーを利用しての移動でした。チョット不便ですが、安心を買うと思えば安いものです。夜は、私の副幹事だったメンバーらとフィリピン料理屋で食事をしました。スペイン料理に似てます。ビールは現地の「サンミゲル」です。色は薄めですが、なかなか美味しいビールです。この店で11Rー1Zの島村ZCら11Rのメンバーとも出くわし、互いにテーブルに行って挨拶をしあいましたが、ライオンズメンバーの友情を感じるひとときでした。

 25日は開会式に参加。定刻になってもなかなか始まらず、時間どおりでないフィリピンを象徴するような進行でした。のんびりしたお国柄か。途中で退席する人が続出でしたが。夜はお目当ての武久・国際理事候補者のジャパンレセプションと小山地区ガバナーの晩餐会に出ましたが、料理の出方が遅く、せっかちの私はイライラ・・・・ばかり。

 26日の昼間は、買い物でも、と思って、東京でいえば丸の内と銀座のようなマカティ地区に行ってブラブラしましたが、めぼしい成果はなし。ただ、ショッピング・モールに隣接した「アヤラ・ミュージアム」(フィリピン一番の財閥アヤラ一族が運営)に立ち寄りましたが、太古の時代からスペインの植民地、米西戦争に勝利したアメリカの統治時代、日本の占領時代、戦後のマルコス時代などが、時代ごと、出来事ごとにジオラマになっていて、にわかフィリピン通になった気分で参考になりました。昼飯を桜井元ガバナー、佐藤第一副地区、川手第二副地区、中村330−C地区第一副地区などとシャングリラ・ホテル内で日本料理(「稲ぎく」)を食べました。夜は「国際会長歓迎晩餐会」に出席(チケットには18:00開始と書かれていたのに、例によってなぜか19:45位に始まったのです)。戦争中にマッカーサーも泊まっていたという歴史と風格のある「マニラホテル」で行われた行事ですが、B地区からは小山ガバナーほか15名位が出席されました。余興がクラシックバレエというのも珍しかったです。

 27日の朝の飛行機に乗って帰って来ましたが、自分が地区ガバナー時のパタヤでのOSEALは会議にばかり出てましたが、前回の台湾・高雄と同様今回も気楽な旅でした。