本場で踊る阿波踊り
UpDate:09.15.2011
L 渡辺 和廣

 2009〜2010の全日本の35人の地区ガバナーの同期会があります。名称は「イチョウの会」と言います。

 複合単位で幹事になり、年2回の同期会を夫婦で参加して旧交を温めております。2泊3日を原則にして、2010年9月にMD331(北海道)の幹事で函館・大沼で、2011年2月にMD337(九州)の幹事で石垣島・竹富島・西表島・由布島の八重山列島で、そして、2011年8月11日から13日にMD336(中国・四国)の幹事で徳島で行いました。

 来年(2012)は2月にMD335(関西)が幹事で宝塚歌劇団の鑑賞をメーンに神戸で行う予定です。年2回は急ピッチですが、地区ガバナー就任時に80歳代の方が2人いるから、という良くわからない理由を付けております。しかし、そのお二人は至ってお元気で、そのうち秋田(332ーF)の地区ガバナーは81歳ですが、徳島へもお一人で参加しました。残念で、又、痛ましいのは、3月11日の東日本大震災の津波で332ーC(宮城県)の気仙沼LCの同期の地区がバナーが亡くなられことです(まだ67歳でした)。

 その千葉宏一・元地区ガバナーの追悼の会を併せて行おうと言うことで、この夏、徳島に皆さんが集合しました。阿波踊りはお盆の踊りで、鎮魂の意味もありますから、中止にずに実施となりました。阿波踊りは8月12日から15日が本番で、連日、徳島市内に数カ所の広い道路に急ごしらえの「演舞場」が出現し、踊りのグループ(「連」と言います)がいくつかの演舞場を掛け持ちで回って踊ります。私たちが集合した11日は前夜祭で「選抜阿波踊り大会」が「アクティ徳島」という大きなホールの舞台で行われ、我々は一番前の席で、幾多の連の中から選抜された(ほとんどプロと言ってもいい)人たちの迫力ある踊りを鑑賞しました。翌12日は、いよいよ自分達が踊る番でした。阿波踊りは「女踊り」(着物で踊る)と「男踊り}(法被でおどる)がありますが、今回は女性の参加者も「男踊り」で踊ることになり、前日から手ほどきを受け、本番は「市役所前演舞場」と「両国本町演舞場」の2カ所で階段状の満員の客席の前を約500ないし800メートルくらい踊リました。腰を落として、少し前屈みになり、両手は斜め前にあげて(手の平を中に)、踊っている間中腕は下ろさない、ということでした。素人ではありますが、観客の拍手を受けて踊るのは大変気持ちよく、自然と体が動いてしまいます。

 今回、私たちが入れていただいた「連」は「徳島ハーネス連」といい、盲導犬の手綱(ハーネス)の意味どおり「財団法人徳島盲導犬を育成する会」が主催する連でした。その財団の理事長が同期の徳島(336−A)の地区ガバナーですので、いろいろと便宜を図ってもらった訳です。この武久一郎元ガバナーは、2012〜2014の国際理事立候補予定者で、全日本では推薦が終わり、この11月のOSEAL(マニラ)でも推薦を受けて、来年6月の国際大会(釜山)の選挙で選出される予定の方です。本当にお世話になりました。やはり「同じアホなら踊らなそんそん」のとおり見るだけでなく、夫婦で阿波踊りを踊ることができ、大変貴重な体験でした。翌日、鳴門に渦潮を見に行きましたが、その近くに「大塚国際美術館」があり、それを鑑賞しました。

 これは大塚製薬の美術館ですが(大塚製薬は徳島の会社ですね)、本物の絵は一枚もありません。全てが陶板で本物を焼き付けたものですが、全て原寸大で、たとえば、バチカンのシスティーナ礼拝堂のミケランジェロの天井画やレオナルドダビンチの「最後の晩餐」など本物が描かれている建物や部屋も原寸大で作られており、それはそれは不思議な美術館でした。1000点を超える陶板名画が飾られています。本物は経年変化、環境汚染、地震、火災などで退色劣化、滅失は免れませんが、陶板は2000年以上そのままの色と姿で残るそうです。一日いても全部を鑑賞することは不可能ですが、なんともすごい美術館が出来たものだと驚きでした。余談ですが、何と私の高校の同級生がこの美術館の監修をしていたのには二度ビックリでした。小佐野重利と言う河口湖出身で男ですが東大教授(ルネサンスの絵画史が専門)です。彼が吉田高校の同級の一番出世かな、と思っていたら、ついこの間、同級生から集英社の社長が出ました。堀内丸恵と言いますがやはり河口湖(大石)の出身です。「こち亀」のアイデアを出した初代担当者で、めきめきと出世してきました。

 話がとんでもなくそれてきましたが、「イチョウの会」の来年2月の神戸のあと次々回は来年9月ころMD333(330を除く関東)の幹事で新潟・佐渡島の予定です。

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