国際大会と人道支援関連行事への参加
UpDate:07.03.28
L 渡 辺 和 廣

 
 6月21日から28日まで、タイのバンコクでの第91回ライオンズクラブ国際大会とカンボジアでの人道支援関連の行事に参加してきました。

 21日早朝、甲府を発ち、バンコク経由でその夜はカンボジアのシェムリアップにおりました。同行の仲間は、牧田健一・330−B地区ガバナーご夫妻、渡辺千秋・地区幹事ご夫妻などで添乗員を含め18名でした。私も家内と一緒に参加しました。2日間のお泊まりは「ソカ アンコール リゾート」ホテルでした。ガサガサしてないとても落ち着いたエレガントなホテルでした。

 22日、一日中、世界遺産のアンコールワット遺跡群の観光をしました。今回の旅程で唯一の観光です。午前中にアンコールトムを見学。ここは仏教寺院で、まず南大門から入場。積み上げられた石の塔の4面に菩薩の顔が彫刻されており、そのお顔は誠に美しく、又、神々しい。「寺院バイヨン」、象のレリーフが彫られた「象のテラス」「ライ王のテラス」などをゆっくり鑑賞しました。非常に高温で、汗が体中から噴き出しました。現地ガイドは日本語を習い始めて2年という青年でしたが、大変上手な日本語で、解説もわかりやすかった。午後は2時間ほどホテルで休憩したあと、アンコールワットの見学。両側がお堀になっている石畳の参道を歩いて中に入ると、こちらはヒンズー教の施設。長い回廊に彫られたレリーフが美しく、一大絵巻となっております。この夜はカンボジアの民族舞踏を鑑賞しながらバイキングの夕食をとり、寝る前にホテル内の日本料理店「竹園」で、同行の井原・指導力育成委員長や、加藤・人道支援副委員長らと冷酒で盛り上がりました。



 23日、今日は今回の旅行の大きな目的の一つである、自衛隊OBで組織するNPO「日本地雷処理を支援する会」(JMAS)への車両等の贈呈式典参加と不発弾処理現場の見学のために、朝8時にシェムリアップ空港から首都プノンペンに向けて飛び立ちました。久々のプロペラ機でしたが、低い高度で飛ぶため下界の見晴らしが良く、思いの外快適な飛行でした。午前9時、プノンペン空港に迎えに来てくれていたJMAS理事の奈良さんやバンコクコスモポリタンLCのメンバーで、JMASと関わっている伊藤L(お二人とも4月の地区年次大会で紹介されていて顔見知り)の差配で、二台の車(他に荷物車一台)に分乗し、まず、式典会場のカンボジア政府地雷処理支援センターに向かい、式典前に長官と懇談。未だにカンボジア北西部のタイ国境にはたくさんの地雷が埋まっていることなどの状況をお聞きし、日本の支援に感謝している旨のお話を頂いた。

 式典は1時間弱でしたが、政府の高官、JMASの現地の幹部、我々ライオンズメンバーなど大勢が参列する中、扇風機までついたテントの下でとりおこなわれました。現地の新聞・テレビなどマスコミの取材もあり(この日の夜にはバンコクに行ってしまうので、その報道が見られないのが残念)(報道記事JMASのHP参照 2008.7.2付)、牧田ガバナーの挨拶、JMASの山本現地代表の挨拶のあと、牧田ガバナーから山本代表に車両(トヨタランドクルーザー、三菱パジェロ)の鍵が贈呈されました。今期牧田ガバナーのこの目玉事業はLCIFからの交付金を含め約1000万円のビックアクティビティで、車両の他に地雷や不発弾の処理で実際に使われるハンドマイク(不発弾等の処理の際、近隣住民に近寄らないよう注意を呼びかけるのに使用)、防弾チョッキ、前面が強化ガラスのフルフェイスヘルメットなども一緒に寄贈された(後の不発弾処理の現場で我々参加メンバー全員がこれらを初着用)。今までは相当古いリース車両を処理現場で使っていたそうで、故障も多く難儀していたからこの新車2台は相当活躍しそうで、本当に感謝されているという感じが伝わってきました。

 式典のあと、JMASの事務所に寄り、ここでスコールが来て泥だらけになっても良いような服装に着替え、一路、プノンペン郊外の不発弾処理現場に向かいました。約1時間で到着し、先ほどのチョッキ等を身につけ、処理の現場へ歩いて行きましたが、車の轍を歩くように(ひょっとして地雷? びくびく!)との指示。

 不発弾は木の根もとなどに落ちておりました。集められた不発弾は迫撃砲や手榴弾で、ほとんどがアメリカ製、一部中国製など。不発弾を爆発させる穴の中にいれ、我々が500メートルほど離れて遠巻きする中、JMASの現地人の処理係がスイッチをいれ、大きな音と砂煙が高く上がり、処理は成功。誠に得難い経験をしました。終わって車に乗り込む寸前に暗雲が広がり雨が降り始めました。車に入りましたので、幸にもぬかるみに足を取られたり、服がびしょ濡れと言う事態は免れました。さすが「晴れ男」牧田ガバナーだけはある。
 JMASの事務所に戻り、着替えの後、午後8時のバンコク行きの飛行機までまだ時間があるということで、JMASのご配慮で、日本人職員二人と奈良さんに連れられて予定になかったプノンペン市内観光に出かけました。独立記念塔、王宮、メコン川を見て記念撮影をしてから、プノンペンの青山と言われるチョット洒落た場所で放されましたものの、車が多くて道路を横断することもできず、私はクメールシルクの店などを冷やかしていたが、皆はお茶(ビールの人も。ビールは昨日から現地の「アンコールビール」)をしてました。空港まで送ってもらって、一路、バンコクへ飛び、午後9時過ぎ空港に着き、これから4泊する「ロイヤル オーキッド シェラトン ホテルアンドタワーズ」へ直行でした。



 24日は、ホテルからチャオプラヤー川を渡し船に乗って対岸のペニンシュラホテルへ行き(ほんの数分の乗船)、午前9時から10時30分まで8複合議長連絡会議主催の「リジョンチェアパーソン・ゾーンチェアパーソンセミナー」に参加(この間、妻はホテル内のスパへ。とっても気持ちよかったとか)。330―A地区次期副地区ガバナーの岡野Lと並んで受講しました。他に岡野Lと懇意の一瀬L(市川大門三珠)、村山・PR情報委員長、矢部・前幹事、小柴・IT専門委員、和出4R―1ZCなどがおられました。国際第二副会長(この国際大会で第一になる)エバーハード・J・ヴィルフスL(ドイツ)が約20分、基調講演をしました。通訳はおりましたが、英語を母国語としない外人の話す英語は分かりやすく、なんとなく理解がいったようだ。御本人も「英語が公用語のライオンズなので、私も一生懸命英語を学んだ」と言っておりましたが、近々国際会長を日本から、という機運の高まる中、やや気になる発言でした。しかし、一方で、「我々は言葉に不自由でも、2つの目、心、そして、2本の手がある。」(身振り手振りで意志疎通は可能ということか)とも言っていたから少しホッとしたが。第二副会長は、YEで日本人派遣学生のホストとなったこともあり、娘さんに「花」と名前をつけるなど大変な親日家とのこと。セミナーは現役の2人のガバナーからRCとZCの職務と役割などについての講義があり、終了時に修了証が渡されました。セミナー開始前にロビーにお茶の用意がありましたが、さすがペニンシュラ、私の飲んだジャスミン茶は美味しかった。

 遅めのお昼をホテル隣のビル全体が骨董品街で有名な「リバーシティ」で取ってから、白ポロシャツ、白ズボン、白靴の白ずくめの上にJAPANと名前の入った薄手のチョッキを着て、白キャップを被り、インターナショナルパレードの出発点・チュラロンコーン大学のグランドに集合。日本は大きなライオンの人形の下に集まったので、わかりやすかったが、どうも指示、情報伝達がうまくなかったせいで、途中、隊列が乱れ、おまけにスコールも来て散々な目に遭ってしまい、これでは入賞はおぼつかない、と思ってしまった(結果はそのとおり)。

 雨に濡れて風邪でもひいたか、チョット調子が悪く、こんな時は日本料理、日本酒と思い、ホテル近くの日本料理屋に夫婦で歩いて行った。経営は日本人のようだが客はほとんどが現地の方のようだ。鮨もやっており、私は、えんがわにたっぷりわさびを付けて、これをつまみに熱燗をぐんぐんと。シシャモやホッケもあり、一応満足。いつもの外国旅行では日本料理など考えないのに今回はどうしたことか。

 25日、ホテルから高速道路を使って約40分程で行けるIMPACTへ代議員登録手続きと開会式参加で出向く。この施設は途轍もなく広い。大きい。開会式では最初(9:00)から最後まで(12:30終了)夫婦で座って聞いてました。通訳イヤホンなしなので、理解は浅いが、アマラスリヤ国際会長の年次報告、ボストン大学の教授による「地球温暖化」に関する基調講演、最後に202の国と地域の旗が次々と登場する「フラッグセレモニー」があっておしまいとなりましたが、冷房の利きすぎで鳥肌が出て、又、体調を崩しそう。それにしてもこのきかせすぎの冷房のなかで、「地球温暖化」の話を聞くなんてジョークではないかという感じでした。

 18:30からは牧田ガバナーの晩餐会に出席。約200人が参加。私も挨拶をさせて貰ったが、とにかく今期ガバナー・幹事、役員の皆様、ご苦労様でした。又、桜井エレクトへのご協力をお願いしました。

 26日、今日は夕方のジャパンレセプション以外に予定がなく、それではと夫婦で9時過ぎにホテルの隣の船着き場から一人20バーツ(60円位)を乗船後に払って王宮に近い船着き場まで川を遡上。まず王宮隣の涅槃仏の寺に。黄金色の涅槃仏の大きいことと言ったら、言葉では言い表せない。その後、王宮に行くも係員から午前中はセレモニーがあるので入れないとの説明(そういえばガイドブックにそんなことが書いてあったような気がする)。困っている顔を見てか、日本人と判ると、その係員が地図を出せという。そして英語で地図に4箇所ほど丸を付け、午前中はここを回れ、という親切なアドバイス。歩いて回るのは無理だろーな、と思っていると、見透かされたのか、すかさずタクシーを呼んで、ドライバーに行く場所を指示し、金額の交渉までしてくれた。

私はメータータクシーと書かれたタクシーしか乗るつもりはなかったのに、なんと、係員が呼んだのは三輪車のタクシー(「トクトク」と言うらしい)。40バーツで、お昼までだという。たった120円で2時間も乗せてくれるのだろうか、と半信半疑でこの親切な係員に騙されたと思って、そそまま夫婦で乗り込む。外人は三輪車タクシーに乗っているのをよく見かけたが、これに乗った日本人には全く会わない。少々不安になるがドライバーの顔を見るととても悪い人のようではない。ともかく窓がないので自然の風に吹かれながら、一方で、排気ガスを吸いながら(?)、2時間あまり連れ回されました。途中で燃料を入れにスタンドに入り(ガスが燃料のようだ)、100バーツ札を出すのを見て、さらに不安に。おいおい、100バーツの燃料を入れて、40バーツの料金で商売になるかよ!!!。

途中、貴金属屋と洋服屋に寄り(寄らされて)、「宝石の町」甲府から来た私が、買うつもりもなかった娘のペンダントヘッドとピアスを買い、この糞暑いときに妻はパシュミナのスカーフを買ってしまったが。なにかの陰謀だろうか。係員もドライバーも、途中の寺院で行き会って長々と話したカナダ人青年(私が宝石を買った店はとても良い店で自分も買ったと言ってた)も皆グルかも。しかし、少々不安な冒険も終わり、王宮前に戻って精算したら、何の事はない一箇所まで40バーツということで、全部では160バーツだという。200バーツを渡して、釣りはいらねー、と大見得を切る。しかし、考えてみると、200バーツでも600円だヨ。家族もいるだろうし、ちょっと可哀想なことをした、と反省も。1000バーツ(3000円)位の価値はあったのに。名前を聞き忘れたが、運転手さん、すまん、すまん。

 王宮を時間を掛けて見て、又、船で下ってホテルに戻り、ホテル内のタイ料理店で昼食をとり、夕方からペニンシュラで行われたジャパンレセプションに出た。台北での上位リーダーシップ研究会で一緒だったLと顔を合わせる。皆明日にはエレクトリボンが取れてガバナーに就任する方たちばかりだ。この後、6Rのメンバーが泊まっているホテルで「桜井エレクトの激励会兼6R晩餐会」に参加させて貰う。ここでも挨拶の機会を得たが、本当に6Rの結束はすばらしい。テーブルクロスの上にエレクトリボンと同じブルーの大きなリボンが掛けられていたのが印象的でした。行き帰りのバスの中で、今日の三輪車タクシーの話をしたところ、皆さん大笑いで、大変受けました(?)。

 27日、いよいよ国際大会の閉会の日。再びIMPACTに行き、代議員の投票を済ませ、議案の賛否の→がいずれも途中が切れて、賛ならそこに向かう→の途中に、否ならそこに向かう→の途中に線を入れて結ぶ、というやり方に笑えた。第一、第二副地区ガバナー制については、無駄な抵抗かもしれないが、「否」に向かう矢印を完成した。閉会式はブランデル2008〜2009国際会長の就任式、新会長の方針の説明(ちなみにテーマは「奉仕で奇跡を」)、新国際理事の紹介、そして、いよいよカウントダウンのあとエレクトリボンを外す時間となり、大歓声と大変な数のフラッシュの中、我が330−B地区も牧田ガバナーが桜井エレクトのリボンを外しました。その後、皆で記念撮影。余韻醒めやらぬ中、ホテルに戻り、夜の帰国の飛行機の時間まで、わたしら夫婦は今度は川下りでオリエンタルホテルに行き、優雅にアフタヌーンティなどして渡し船でホテルに戻り、ホテル内のイタリアンに行き、川沿いのテラスで、キンキンに冷えた白ワインをやっつけながら、夫婦で私の副地区ガバナー就任をこぢんまりと祝いました。そして深夜12時過ぎに機上の人となり、朝目覚めたら成田という次第です。なんだか心地よい疲れ。来年はミネアポリスか。さてさてどうなっているのやら。おしまい。


JAMAS (日本地雷処理を支援する会)のHPも参照してください。