古郡郷と古郡神社
【古郡郷】
甲斐国志によると上野原市 旧西原・綱原・上野原の範囲を古郡郷と呼んでいたと記されている。
古郡氏の系譜であるが、その出自は平安時代後期から鎌倉時代初期にかけて、武蔵の地に勢力を広めた横山氏の分家として古郡郷に進出して来た。
横山氏を主家にもち一族の勢力拡大を目的とした古郡忠重(武蔵の豪族横山隆兼の三男、1115年誕生)は康治年中(1142〜43)古郡に進出し、城ヶ崖に舘を築き(現在の中央道および両サイドの高台)古郷一族の始祖として居住した。当時
、古郡の地には外部から侵入する勢力を阻止するだけの力を持った在地豪族は居なかったようで、何の障害もなく簡単に自己の所領として土着したと思われる。
三代目古郡左衛門尉保忠は吾妻鏡(東鏡とも書かれる)によると健久元年(1190)11月7日頼朝が京都入洛の時と、同6年(1195)3月10日東大寺供養のため南都東南院に赴く随兵のなかに古郡二郎の名が見える。古郡二郎は保忠なのか次男光連なのか判きりしない。
建歴3年(1213)5月の和田合戦{和田義盛が横山一門(古郡一族も参加)と結び執権北条義時を打倒のため立ち上がった}で敗れ、坂東山(現在の笹子峠)にて自決。"家運は3代で尽きる”という格言があるが、古郷氏も例外でなかった。名門横山氏の親族として約70年間、三代に亘って古郡郷を支配統治した横山氏と共に歴史の表舞台から消えた。
その後、古郡郷は和田合戦に勝利した北条氏により加藤兵衛尉与えられ、加藤氏が統治していた。牛倉神社宮司曰く、坂東山(現在の笹子峠)にて自決を免れた一部は加藤氏に使え、玉穂村(現中央市玉穂町)に移り住んだと伝えられている。現に、山梨県の電話帳を検索すると20軒の古郡姓がある(上野原1軒・甲府市8件・甲斐市1軒・中央市2軒・南アルプス市8軒)上野原を除いて全て中央市の隣接市である。(上野原の1件を除いては、郡内・東郷地方には1軒も見当たらない)
【古郡神社・諏訪神社】
諏訪神社の社暦は創立 久安年中(1145〜50)と云われている。天正5年12月再営、慶長15年及び寛永15年修復、享保21年3月5日改築、文化元年本殿銅瓦葺、明治6年村社となる。
古郡郷に古郡氏より2〜3年後に信州諏訪の旧家 上原氏が農商2集団を率いて古郡に入った。(故山梨学院教授 守屋 千尋「桂川を中心とした歴史・地理」HPによる)古郡氏は上原氏に諏訪土着を要請し、上原氏もまた諏訪文化の普及が本来の目的であった事から利害が一致し、神社創建が実現したと思われる。(旧上野原町には、上原姓は20数軒残っている)
古郡神社の名称発生の起因は古郡氏が武の神と云われる諏訪神社を郷の守り神として、古郡神社に改め正式に社名として名乗らせたと想定される。
上原氏も郷主が古郡神社を正式名称として主張すれば、譲歩を余儀なくされ、古郡神社を公称として認めその後に諏訪大明神と記することで合意したと想定される。古郡神社諏訪大明神と書かれた幾通もの古文書がそれを証明している。
また、故山梨学院教授 守屋 千尋「桂川を中心とした歴史・地理」のHPによると本殿の裏に一間四方ぐらいの台座がある。古老に聞くと、昔古郡郷の氏神様が祀られていたとの事である。
宮司は牛倉神社と同じ宮司である。
祭典は8月19日。
【牛倉神社】
上野原市の中心部に位置する牛倉神社は創立年月は不詳であるが、北都留郡誌、神社部の項に「甲斐国風土記残編に都留郡の東古郡郡幸燈明神とあるもの是なり・・・云々」とある。風土記の編纂は奈良時代初期の和銅6年(713)5月のことである、とすると想像以上の古い神社である。
祭典は農耕人である保食神を主祭神として、須佐之男命、天兒屋根命、武甕槌命、経津主命の五神を合祀している。
宮司は諏訪神社も兼ねている。
祭典は9月5・6・7日だが9月4日の日は神輿50数基で国道を練歩く、郡内の3大祭り。
【古郡山・江月寺】
上野原市の中心部より30分、山中を走ると和見の部落に入った。ここに古郡山・江月寺(地図上では光月寺)がある、現在は廃虚同然であったが入り口の寺の名板は新しかった。今は下の部落と一緒の寺との事で古郡郷との繋がりは立証できなかったが、古郡山・江月寺の名の通り古郡郷の一部であったことは間違いないと思う。古い寺らしく、寺の入り口には小さな石仏が多数あり風化していた。
また、この地からは山間より晴れた日は遠く左側にランドタワー、右側に江ノ島が見えるそうです(地元の住人曰く)。
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| 寺の全景 手前右側に石仏 |
寺の名板 |
左上の古郡山が彫刻されている |
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参考文献:上野原郷土研究会 会長 花本 峰門著 「上野原町の歴史と地名」
故山梨学院大学元教授 守屋 千尋「桂川を中心とした歴史・地理」HP
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取材協力:牛倉神社 宮司
上野原ライオンズクラブ 石原 英司L
報告:PR・情報委員会 副委員長 L井口 豊政
注)本取材は短期間だったため実証できなかった部分が多少あります、扱いは参考程度にしてください。 |