加々美智康ライオンを偲ぶ
L 輿 石 詔 三
彼との付き合いは小学校の時からです。小学校、中学校といたずら好きで、いつも先生にげんこつで殴られ怒られていました。その頃から生涯の職業である銃砲に興味を持っていたと思います。大学卒業後教員となり、最後の任地は上野原の平和中学校だった、と思います。宿直室に泊まり込み、その部屋はモデルガンのコレクションでいっぱいでした。まもなく退職し、岡島百貨店の前で、輸入雑貨の店を開店し、しばらくして銃砲を扱うことになりました。自分でアメリカに行って仕入れた関係で、従来の小売りに比べ、中間マージンがなかった為非常に安く、県内はもとより県外からも顧客が来るほどでした。お城の東、そして現在の場所へと発展し、世界の銃砲メーカーと特約店契約をし、弾薬についてもロシア、スペインと世界から輸入し、全国の銃砲店に格安で卸していました。仕事のことになると、寝るのを忘れるくらいにしておりました。
私が狩猟を始めたのも彼の影響でした。二人でよく出かけたものです。撃ち落とした鴨を回収するため貯水地で泳ぎ、溺れかけたもありました。今思い出してもよく助かった、と思っています。狩猟に夢中になり、車を置いた場所がわからず、山をさまよったこともありました。
家庭よりも仕事、頭の中は銃砲に関するアイデアでいっぱいで、外国のメーカーに提供し、特許もいくつか持っていた、と思います。
ライオンズメンバーとしては例会を忘れてしまうことがたびたびでした。昨年も「鉄砲屋がガンになっちゃった」と言って手術を受け、いったんは治まったようでしたが、病魔には勝てず、旅立ってしまいました。
そんな彼をメンバーとして受け入れておつきあいを頂いた皆様にトムにかわってお礼申し上げます。
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