故・臼田福命Lを偲ぶ
                                                   L  渡 辺 和 廣
 
 我がクラブのチャーターメンバーにして終身会員の臼田福命(ウスダ ヨシノリ)ライオンが9月28日ご逝去され、翌29日にお通夜が、30日に葬儀・告別式が、多くのクラブ員のお手伝いで甲府市横根町のアピオキャピタルセレモニーにおいて執り行われた。享年84歳。我がクラブの辻由喜会員が葬儀委員長を務めました。
 臼田Lは、1969年3月甲府西ライオンズクラブに入会後、約34年の長きにわたり、ライオンとして奉仕活動にご尽力されました。その間、甲府西ライオンズクラブの10周年の節目の会長をされ、同クラブの10周年記念では、福祉施設の子供など大勢の方々を招待して歌手・高田みずえ(今は相撲部屋のおかみさん)のショーを、今は取り壊されてない「県民会館大ホール」において開催するなど数々の業績を残されました。不肖私も、臼田会長の時に甲府西LCに入会を許され、入会式において会長から背広の襟にラペルボタンを付けて貰ったことを昨日のことのように鮮明に記憶しております。それから25年が経過し、私も曲がりなりにもライオンズを辞めることなく現在に至り、感謝に堪えません。その間、臼田Lは、国際交流活動を熱心に行い、ことに甲府西LCの姉妹クラブ、台湾・鳳山LCのメンバーとは兄弟以上の付き合いとなり、私も何回か台北や高雄にご一緒する機会に恵まれ、私自身「親台湾」の一人となりました。国交の断絶は返す返すも残念だった、と思います。又、臼田Lは、クリスマスの時には、経営されていた「おもちゃのクリりちゃん」の商品を大量に提供されて、他のライオンと一緒にご自身もサンタクロースに扮して竜王町の父母の居ない子供達のいる「明正学園」や社会福祉村の育成福祉センターの障害児達にプレゼントしていたことも強く記憶に残っております。一方、ボーイスカウト運動にも理解を示され、ボーイスカウト甲府第7団の育成会会長(後援会長)を長く務められ、ライオンズなどからスカウトのために資金集めで奔走するなど青少年の育成にも大変な貢献をされました。
 しかし、なんと言っても、我がクラブの創立の基礎を築かれたことが最大の功績だと思います。甲府西LCの25年の年、10名前後の西クラブの会員が、当時の湯村・富士野屋旅館(輿石L)に寄り合い、新しい理念のもとで新クラブの結成へと踏み出しました。私も含めて比較的若い者が多かったのですが、年齢的にもその中心的役割を果たしたのが臼田Lでした。新クラブ結成の要領作り、対外的な交渉などを臼田Lがしてくれたました。私たちの父親の世代という感覚もあり、臼田Lには精神的な支柱となっていただいたという思いがあります。既存のクラブを退会したり移籍したりして新クラブ作るのですから何かと風当たりも強かったのですが、なんとか乗り切れて新クラブ結成へと漕ぎ着けました。温厚な人柄の臼田Lに負うところが大きかった。1994年11月28日、33名のメンバーで結成会を執り行い、1995年3月5日認証状伝達式(チャーターナイト)を挙行致しました。臼田Lがチャーターナイト委員長を務められ無事新クラブが船出することができました。
 臼田Lは1920年9月21日生まれですから我がクラブの結成の準備を精力的にされていた頃は既に満74歳であった、ということになります。世間的には隠居の年ですのに、新しい奉仕団体を作ろうという臼田Lのあのようなエネルギーはどこから生まれてきたのだろうか、と今つくづく感心しているところです。それにしても、会長までされて、しかも、同年代の親しいLが大勢いた甲府西LCを離れることの決意は大変なものがあっただろうと、思います。
 惜しみても惜しみきれない大切なLを失いました。会員の減少などでライオンズクラブが曲がり角にあると言われる現在、我々も新たな気持ちで努力しますが、我が甲府シティLCの行く末を天国から暖かく見守っていてください。
 長い間ご苦労様でした。又、ありがとうございました。臼田Lのご冥福をお祈り致します。合掌。