「親子で坐禅を体験し、高僧の法話を聴く集い」に参加して

平成15年3月10日
L 井口 豊政

 3月9日(日)青少年育成・ライオンズクエスト委員会主催の“親子で坐禅を体験し、高僧の法話を聴く集い”に参加させて頂き、初めての体験をさせて頂きました。
 自宅(甲府)を8時に孫(小学2年生)と出発し8時45分に向嶽寺山門に着きました。小学2年生の子供が坐禅、法話を聴いていられるか不安でした。受付を済まし、塩山LCのメンバー(向嶽寺檀家総代)に寺の中を見せて頂き、木造建築の真髄を見せ付けられました。春とは言えこの時季の早朝は寒い、靴下をぬくよう指示があり素足で長い廊下歩きましたが不思議と寒さを感じなかった。

 いよいよ坐禅の開始、まず向嶽寺三輪和尚(教学執事)様より坐禅のいろはを教えられ15分間、5分間の休憩後、20分間の瞑想の世界へ、今、思えば時間の短かかった、寒さを感じなかったこと、不思議な時間であった。

 10時20分より管長・宮本大峰老大師猊下の法話を頂戴しました。概略は次の通り。
人間は行動に移すと云うことが大切である。
気とは、いろいろ物が生きて元(=元気)
心が元気の人が本当の元気、心が元気とは:心の偏っていない人、心が濁っていない人、心の大きな人。成人になってからは調整が出来ない。
また、明治時代京都嵐山 天竜寺 滴水管長に付いて滴水(前の名、ジュモク和尚)の名前について。(一滴の水でも命が宿る、水の大切さ)
自分の体験談として、手におえない少年の更生について。 
実のある法話を小学生が真剣に聴いていたのが印象的であった。

 11時30分より待望の昼食となった。今日は管長のご好意で特別料理であった(普段、僧侶の食事は一汁一采)、食後三輪和尚様より僧侶の食事の作法(実物のセットを使って)に付いて説明を受けた。
また、感道和尚様より食前のことば(五観文)、食後のことばについて説明があった。
 青少年育成・ライオンズクエスト委員長より僧侶に感謝のことばがあり全員で合掌。

 13時に解散となり、子供たちの反応が興味があった。(孫曰く、面白かったまた行きたい・・・・・・意味がわかるのかな〜ぁ)
今回の企画は非常に良かったと思います、主催者に感謝します。今後もこの様な企画を立て大勢のメンバーに参加して欲しい。

臨済宗向嶽寺派 塩山向嶽寺 禅堂に祭られた仏像 国宝に指定された掛け軸(模写)
臨済宗向嶽寺派 塩山向嶽寺 禅堂に祭られた仏像 国宝に指定された掛け軸(模写)
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発掘された庭園 宮本大峰老大師の法話 法話を聴く準備の参加者
発掘された庭園 宮本大峰老大師の法話 法話を聴く準備の参加者
当日の昼食(特別料理) 普段の僧侶の食事の作法について 委員長のお礼の言葉
当日の昼食(特別料理) 普段の僧侶の食事の作法について 委員長のお礼の言葉

向嶽寺について(向嶽寺冊子より抜粋)

・向嶽寺の沿革
 正平13年(1358年)出雲雲樹寺の孤峯が覚明に嗣法した拔隊得勝禅師は、各地を遍歴し庵居を続けていたが、永和4年(1378年)に武蔵横山(現在の八王子市)の草庵から甲斐に入り、竹森(現在の塩山市)に草庵を建て庵居修行をはじめられた。禅師が竹森に入ると国中の道俗がその道風を慕って大勢集まり、その数は800人に及んだといわれる。
禅師はかって近江にいたとき、夢に富士山をみたことがあった。今草庵から南を望めば御坂山脈の上に白雪の富嶽が見える。拔隊禅師は草庵を向嶽庵と名付けられた。康暦3年には仏殿と僧堂とが建立され、武田信成からは仏殿の本尊として釈迦の坐像が寄進された。

・向嶽庵から向嶽寺へ
 武田氏の外護のもとに発展してきた向嶽庵に慶永32年(1425年)に火災がおこり、僧堂・仏殿・鎮守堂などを焼失する。これをはじめとして向嶽庵はたびたび火災の難にあう。向嶽庵の歴史は火災の歴史とも言ってよいほどである。
 信玄は朝廷に働きかけて、開山抜隊禅師に「恵光大円禅師」の諡号を賜り、向嶽庵を十刹である興国寺に準ずる寺格に列し、住持職は紫衣を除く色衣着用を許す綸旨を賜った。実に天文16年6月10日のことである。このとき以来、向嶽庵は庵号を改めて向嶽寺と寺号を称するようになったのである。

・現在の向嶽寺
 明治5年(1872年)南禅寺の支配を受ける。その後独立運動を続け、明治23年(1890年)、「向嶽寺」の派名を公称する許しを受ける。
 向嶽寺は度重なる火災に遭ってきたが、そのなかで失われることなく今日に伝えられた文化財は、国宝絹本着色達磨図(上部写真)をはじめ少なくない。

・名勝 向嶽寺庭園(上部写真)
 庭園は南北に長い境内の北端、塩ノ山南麓に作庭されている。平成2年度に発掘調査が行われ、上段池泉が検出されるとともに、逍遙するために設けられた飛石なども見つかった。平成3年度には調査結果をもとに、飛石などの撤去を含めた修復工事が行われ、庭景が整備された。平成6年6月6日に重要文化財の指定を受けた。